伊香保人から伊香保にゆかりのあるほっとな有名な人の話を聞けたので、引き続き次の伊香保人に伊香保の話を聞いてみる事にしました。次はほっと(HOT)なネタとして温泉自体の話を少し。
長〜い歴史のある温泉地、伊香保温泉
伊香保温泉って昔からある温泉地なんだろうなぁと思ってはいたけれど、そのルーツを聞くと伊香保温泉は第11代垂仁天皇に発見されたという説と、行基に発見された説とがあるそうです。
と言われてみても、垂仁天皇・・・?調べてみたところ、弥生時代ではありませんかっ!
行基は奈良時代の日本の僧・・・。どちらにしても、とても長〜い歴史がある温泉地なんですね。
温泉は日本の文化であると言われるのも、それだけの歴史があれば納得。
日本で初めて区画整理された温泉街
歴史の長さを感じたもう一つの話が、伊香保温泉は温泉場として日本で初めて区画整理された場所。当時武士の宿場として栄えていたため、いち早く温泉街としての整理が始まったのだとか。
これだけ日本各所に温泉地がある中で一番ということは、当時この温泉地が武士たちにとって欠かせない場所であったという証拠。
これは確かに伊香保人としては自慢したくなっちゃうポイントですねぇ。
という話を聞いていたところ、武将大好き歴史マニアの伊香保人が現れた・・・!
武士やら武将やらという単語が飛び交っていたため、武将大好き歴史マニアの伊香保人が話に加わってきました。(ビックリ)
「長篠の合戦って、知ってます?」
と、いきなり質問を投げかける武将大好き歴史マニアの伊香保人。伊香保が温泉街として区画整理された背景には、長篠の合戦があるのだとか。
えぇと・・・長篠の合戦。教科書に載っていたな。だがしかし私は歴史が大の苦手。
苦い顔をしていたところ、わかりやすく説明してもらえました。
彼の話によると、長篠の合戦で織田家&徳川家と武田家が戦い、武田家が敗れた。
(ちなみに武将は武田勝頼で、武田信玄の四男ですって。)
その時の傷を癒す療養場として伊香保を利用していたとのこと。
しかし、なぜ山梨ではなくて伊香保?と無知ながらに聞いたところ、元々この群馬は上州と呼ばれ、武田の所領地だったからだそう。真田幸村の父、真田昌幸に命じて整備をさせ、伊香保の象徴である石段ができたのはこの時期とのこと。
おお、なんだかすごい!!この波に乗り突っ込んだ質問をしてみよう。
「石段は、なんでできたんですかね?」
と聞いたところ、
「坂だったからじゃないですか(笑)」
と、担当分野以外はサクっと返事がきました。・・・と思ったら、
「ちなみに真田幸村はめっちゃ強くって、真田幸村のお兄さんのお嫁さんが本多忠勝の娘で、本多忠勝は徳川四天王なんですよ!」
という熱いお話を聞くことができました。あ、熱い・・・。
伊香保人自体が「いかほっと」だった。
伊香保の発祥から武将話へと、幅広〜く、想像しやす〜く、熱〜いトークを聞くことができました。歴史が苦手な私ですが、その時代背景をイメージしながら聞くことができたので頭に入った気がします。とてもユニークな方から話をうかがえて、今回は伊香保人自体が「いかほっと」だなぁと感じたのでした。
さて、伊香保の歴史話でいかほっとポイントを見つけたので、次は泉質絡みでいかほっとポイントを探してみようと思います。なんでも、「黄金の湯」と「白銀の湯」の二つの湯があるんだとか。いいネタが見つかる事を期待して、いかほっと探しは続きます〜。